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私にとっての「大山崎」
『大山崎すとりぃむ』をご覧くださりありがとうございます。
100兆ドラクマko.i.tsu(コイツ)またの名を、淡路一号線と申します。
このページでは、サイト名に冠している「大山崎」について、私の独自解釈と振り返りとを、とうとうと述べてまいります。
実在の「大山崎」とは
ざっくり申しますと、京都府乙訓郡大山崎町という一自治体。地域。
ウイスキーで有名な、大阪府三島郡島本町山崎とも接しています。
「天王山」「離宮八幡宮(油座、で名が通っています)」「西国街道」といった歴史的な場所があります。また、「名神高速道路」「国道171号」「JR東海道新幹線」「JR東海道本線」「阪急京都本線」と言った、重要な交通幹線が通る一面もあります。
桂川、宇治川、木津川が合流するのも、大山崎に於いてです。
この土地への共鳴共感
そもそもは、大山崎の隣、大阪府三島郡島本町山崎に本部がある、某専門学校に入学したことによります。
学校敷地内の小川が、大阪府と京都府の府境。
毎日のように、この府境をまたいでは、学び、交流し、食事も……といった生活をしていました。
発症により、自ら退いて学籍を除いてもらうまで、色々とお世話になった場所、そして、多くの方々。
JR東海道本線・山崎駅前の「妙喜庵」には、茶道表千家を私がかじったということからの思い入れもあります。
学校(介護福祉)と茶道と。若き日に特に関わった分野への思いが、ご覧のページを作成している今(2019年3月現在)となっては深まっています。
なぜ「山崎」ではなく「大山崎」なのか
ひとえに、笑いを取れないお笑いユニット「100兆ドラクマ」の相方、o.ma.e(ヲマエ)のテキストサイト「高円寺すくりぃむ」があったからです。
2003年秋にサイト立ち上げを企図した際のこと。o.ma.eのサイトと語形をそろえたサイト名にしたい――そう思い、自然と文字数(漢字)の同じ「大山崎」を選びました。
もし、o.ma.eのサイト名が「阿佐ヶ谷何とか」であったならば、音数合わせで「ヤマザキ何とやら」にしたのかもしれません。
入学前にはJRでアルバイトをし、初期の通学時にはJR山崎駅を利用していました。でも、阪急の駅名にもある、大山崎を冠するサイト名を選んだのです。思い入れでは「山崎」の方がありそうなものなのですが……。「相方好き」であるゆえの選択であったと言えます。
阪急に吸い寄せられるように
サイト名に「大山崎」を冠したころ、日常の足は阪急電鉄京都本線に変わっていました。いわば、サイト名に引きずられるように、大山崎駅を通る日々が増したのです。
当時、長岡京市長岡在住。退学した学校の所在地を、厳密に大阪府の山崎とするならば、京都府の大山崎町はその手前にくるかたちです。山崎に届きそうで届かない(接しているだけという)思い、介護(に限らずですが)福祉の道に戻りたい思いが、サイト名と共鳴するような気がしたのです。まあ、阪急に乗っていれば大阪府の山崎を通って大阪梅田に行くんですけどね。
なお、2004年2月頃から2年ほどでしたが、阪急リテールズ(当時)のアルバイトスタッフ(後に「準社員」)でした。元々鉄道ファン、そこへ来て阪急の名をもつバイト先。阪急・大山崎というあたりへ、自らの思いを勝手に深めていくのでした。
京阪地区を去ってなお
2006年3月。症状悪化により阪急リテールズ退職、長岡京市から東京の親元へと戻りました。二度にわたって大山崎から「離れる」こととなりました。サイトを閉じるか、改名するかも考えました。
いずれにせよ、「大山崎」の名を下ろそうと思ったのです。2006年中、サイト本体の更新をほぼゼロで行ってしまったのも、その心境の現れでした。
「大山崎」改名ないし廃止を思いとどまり踏みとどまったのは、友の声によるところが大でした。せっかくネット上での交流場所もあるのに、と。閉鎖ならいつでもできる、そう思いを改め、徐々に復帰を図っていきます。
2007年に山梨県移住、デジカメが当家に再びやってきたことから撮り鉄活動再開、初代交通ブログ「大山崎すなっぷ」を立ち上げました。どこまでも、「大山崎」という語句へしがみつく私。生まれ故郷・北海道より、育った地・東京より、強い思い入れが絶えない「青春まっただ中の地・大山崎」を冠するサイトを続けたいということなのでしょう。
今後の大山崎への展望
色々なつながりに感謝しつつ、続けてきた弊サイト。
今は関東甲信越から大山崎に戻るつもりを行き過ぎて西へ。本州から渡って、四国・うどん県住人となっています。
「大山崎、心にありて思うもの」、なのかなと思い新たに。うどん県・香川からなら、高速バスでも新幹線利用でも、日帰り圏内ではありますが。
そのうち……大山崎町の公式サイトをおびやかすような(それは無い)、大山崎好きサイトになるかもしれません。ならないかもしれません。
いかがでしt……もとい。
残りの人生、まだまだ彼の地「大山崎」へ、届くような熱量で諸々の活動をできればと思っています。迷惑なやつめ。
本ページをご覧くださりありがとうございました
(2019-03-26・公開にこぎつける)
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