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002 ふたを開ければ

2001年、8月中旬。
実習初日のこと。
施設側の指導員さんに挨拶するのもあり、今日ばかりは相方のI君と、施設最寄り駅で合流して行った。

指導員さんは、スポーツ紙を小脇にかかえ、温かな表情で迎えてくださった。I君と私は別々のフロアに通され、28日間の実習が本格的に始まった。
課題満載の第3段階の実習とはいえ、まあ、初日は初日。気合空回りし過ぎない程度に、利用者・職員皆様方とコミュニケーションを積んでいこう。
と、フロア担当の職員から、「この方なら話しやすいかな?」と、ひとりの利用者さんを紹介される。なるほど、ご自身の経歴を滔滔と語ってくださるので、介 護上のポイントを探る質問も組み立てやすい。正直、楽だ。だからといって、この方とばかり話しているわけには、もちろんいかない。いくつかあるクラブ活動 に参加させて頂きながら、利用者さん、お一人お一人の現状、既往症を探りつつも同時に、楽しんでいただけるように、邪魔にならないように……と、緊張しな がら立ち回る。 

さて、昼休みを終えてフロアに戻る。高校野球の季節。若さあふれる熱い戦いが放映中。テレビの前には、主に男性利用者の方々が集い、それぞれに思い思いの スタイルで応援している。午前中は「ぼんやり……」していた方も、目を大きく開いて、ちょうど戦っている滋賀県代表校に声援を送っている。何はともあれ、 それだけ意識はっきりしてるのは、ある意味好都合。野球の話題を軸に、できるだけさりげなく、その方の情報を集めていく。

怖いくらい苦手な、しかし一番重要なコミュニケーションが、それなりにだが、スムーズになってきている。
この点さえ、克服できれば、介護福祉士として正式に就業するにあたり、最低限のラインに立つことが出来る。気持ちが、どんどん前向きになっていく。


と。

突然、「それ」は訪れた。
なにやら、得体の知れない衝動が込み上げてくる。
じわり。
じわり。
今の今まで、普通に話していた利用者さん方が、すぐそばにいるはずなのに、遠くなっていく。
じわり。
どこからともなく、声が聞こえ始める感覚がする。
どこからだ?
こころの中、それもある。
このふたつの耳、それもある気がする。

 「…………」
 「………………」
 「酷い事言うたれ」

そのとき。
「ko.i.tsuくーん、○○時に水分補給あるから、その準備と声かけ、配膳してー」
職員さんの指示が出た。この施設における水分補給の手順の説明を受け、さっそく作業に入る。先ほどから湧き始めた衝動は、まだ止まらない。

 「熱いお茶でやけどさせたらどうだろう」

冷や汗が止まらなくなってくる。つとめて平静でいようと、あろうと、意識して不自然にならない程度に笑顔を作ろうとする。何とか、お一人ずつに、お茶を届 ける。
色々なケースがあるが、たとえば、痴呆症の関係でお茶をお茶と認知できない状態にある方、また、別の例では、水分補給「したがらない」方、そういった方々 への声かけもする必要がある。そのため、しばらくフロアを巡る。また、野球観戦中の方と話す段になった。

さっきまでは途切れ途切れだった声が、今度ははっきり聞こえ(浮かび?)だした。
 「サア、笑顔デ楽シゲニ会話シテクダサル○○サンニ、ココゾ一発、傷ツケル暴言ヲ浴ビセテヤレ」
 「アソコデ、煙草ヲ吸ッテイル××サンガイルダロ。手カラ煙草ヲ奪ッテ、彼女ノ手ニ火ヲ押シ付ケテ差シ上ゲ ロ」
 「マダ、茶ヲ飲ンデイナイ○△サンガイルナァ。ドウセ飲マナイダロウカラ、熱イ、ソノ茶ヲブッカケテ、目ヲ覚マシテヤレヨ」
 などなど、などなど。

第三者から見れば、会話下手な学生がそれなりに頑張って、楽しい場面を作ろうとしつつ、利用者との信頼関係を築こうとしてる場面。しかし、私にすれば、聞 きたくも無い「声」ち「衝動」が次第に大きく、はっきりとしてきているところ。今回3回目の実習で、慣れと余裕が出てきて、より楽しみながら取り組めるよ うになってきたと、喜んでいるのと同時に、先述、「声」と、その声に突き動かされる「衝動」による苦しさが、せめぎあうように、頭の中、こころの中をかき 乱す。
 
「声」や「衝動」を打ち消そう、或は受け流してしまえとするが、すればするほど、頭や心の中は白み、すっきりしてきたかと思えば、また白む。

この日は、それでも、なんとか指定の実習時間枠を終えられた。帰り道、I君は上気していた。
「大変な環境だけれど、ほんとうに楽しい。これからの4週間、やりたいことがあれも、これも……」
まったく同感だ。……だが、「衝動」がまだ残っている。I君の話も、平静な自分と、「衝動」に揺らされる、ふたりの自分……つごう、4つの耳で聞いている 感覚だ。
彼の明るさに元気付けられて、前向きに成っていく自分が2倍になっていく。彼のように真っ直ぐ前向きでいられる状態ではない自分も2倍になっていく。

帰宅し、夕食の配膳だけでも、と、手伝う。炊飯器を持ち上げた瞬間、「衝動」が鮮明に帰ってきた。

「この炊飯器、思い切り床に叩きつけたら、どんな風景になるだろう?」
愕然とする。実習中は、誰が語るとも知れない「コエ」だったのが、今ははっきり、自分の「こえ」になっている。
「うまいこといけば、砕ける炊飯器、飛び散る御飯。一生懸命用意した妹の、放心の表情が見られるに決まっている。何をバカな」
「関係ねーよ。ほら放れ。釜放れ」
何がなんだかわからなくなっていく。思わず、炊飯器を下ろした。

何かが、確実に切れる予感。いや、もう切れているという認識をしたほうが、正しいのかもしれない。

ふと思い立って、父に、カウンセリングの人脈を尋ねる。
父と親しいN先生の連絡先を教えてくれた。

明日、頑張ってみよう。今日こらえられたのだから、きっと大丈夫。
もし、ほんとにまずそうだったら、利用者さんの命、尊厳、こころ……一切に関わる重大事になる。夜遅くなっているので、N先生へは明日連絡してみよ う……。

ぐったりとしたまま、深い眠りに落ちた。

(2003-10-31第一稿)
(2016-12-15加筆修正)

(2017-02-02)



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