121 国鉄坂出港線2023
2023年6月撮影。JR坂出駅から、反時計回りに「予讃本線貨物支線坂出港線(以下、坂出港線)」の痕跡を追いました。
坂出港線は、1949(昭和24)年12月に開通しました。坂出港の中央岸壁に、坂出港駅(貨物駅)を設置、1984年の廃止まで各工場への専用線を含めて用いられたということです(坂出市史・通史下などを参照しました)。
状況は撮影当時のものです。時代とともにさらなる変化があり得ます。現地へ赴かれる際はご注意ください。
参考画像並びに当日画像集
1枚目。参考画像(加工済み)です。1975(昭和50)年時点の航空写真をもとにしています。オリジナルの画像出典は、国土地理院「空中写真データ」に拠ります。
当該写真データページ(新規タブで開きます)
画像下部、横方向に茶色く写る「国鉄坂出駅」、その右方向から書き順の逆方向にカタカナの「ワ」を描くように「坂出港線」の線路が伸びていました。
今回は2023年6月、一般の道路を主に歩いて、坂出港線の痕跡、そのところどころを撮影しました。
2枚目。坂出駅の北口「ハナミズキ広場」の看板と、その向こうにビルを構える「AEON(イオン坂出店)」のようすです。ここから予讃線の高架を右にして、東方向へと移動を開始します。
3枚目。東へ移動していくと、程なく視界に入る、JR四国・坂出変電所。警告板もスナップ撮影。
4枚目。金山(かなやま)通りが画像奥方向へと伸びています。この先に、本来の「予讃本線との分岐点」がありました。一帯は学校等なので、これより向こうでの撮影は割愛します。
5枚目。金山通りが始まる交差点は、「JR坂出駅東交差点」という名称です。標識板はありませんでした。
6枚目。JR坂出駅東交差点を左折(北上)します。
7枚目。坂出市役所南交差点に、程なく行き着きます。信号制御機器の箱で、交差点名を確認。
8枚目。市役所南交差点を右折、東方向に移動していきます。
9枚目。琴参バスの「坂出市役所南」バス停です。廃線跡はまだこの向こう(東)。
10枚目。未舗装の私道と見紛うかもしれない、廃線跡のようすです。坂出市室町1丁目付近になります。
11枚目。10枚目の撮影位置から北を向いた構図です。背丈ほどの高さに、草が茂っている廃線跡。この左側、北へ向かう道路へ入っていきます。
12枚目。道路の西側歩道に、違法駐車禁止を呼びかける啓発文が掲出してありました。
13枚目。12枚目の撮影位置から北方向を見ます。室町と旭町の境界にもなっています。
14枚目。クリーニング店のある丁字路を、右折して東進します。右(南)に見えてくるのが廃線跡です。ここも当時、草むしていました。
15枚目。道路に「びょう」が打ち込んであります。この辺りが踏切の外側に当たる位置でした。
16枚目。14・15枚目の撮影位置から北を向くと、遊歩道に改装した廃線跡を辿り始められます。
17枚目。北上を続けます。市役所や回生病院のある東西の通りを横切ります。ここ一帯は遊歩道になっているので辿りやすく往時をしのべるかと思います。
18枚目。県道33号線・久米町1丁目の交差点の東方、南向きの構図で遊歩道と道路とをおさめました。
19枚目。県道33号線から北側の一部は、廃線跡が自動車も走行できる道路になっています。
20枚目。廃線跡の道路を、少し北に移動して振り返った構図です。画像の中央付近を横切るのが、県道33号線(国道11号旧道)です。
21枚目。画像奥に向かって、道路が左方向へ緩やかな曲線を描いています。線路跡独特の雰囲気が漂います。
22枚目。生活道路と、廃線跡道路の分岐点。ここは右側、緩やかにカーブを描き続ける線路跡を進みましょう。
23枚目。22枚目の位置から、北上した先で振り返っての一枚。南向きの眺めです。画像左の二つ丸の黄色い反射板は、香川で多く見られるものです。水路等で大きな段差(落差)がある場所などに設置してあります。
24枚目。道路の表面位置で切除された標柱の跡でしょうか。
25枚目。車道が終わり、土と雑草の姿にて残る廃線跡の姿。ここを左折西進、すぐの角を右折北進していきます。
26枚目。航空写真を見た際に、線路が複数本敷かれていたと見えた一帯を西側から撮影。茂る雑草のベルトで、その位置がわかるという……。
27枚目。さぬき浜街道(香川県道186号線)に行き着きます。
28枚目。さぬき浜街道を少し東へ。南を向いて廃線跡と思しき一帯を撮影。先達のサイトを拝見した限りでは、この付近には痕跡がもう少しくっきりとしていたように思うのですが、草には勝てません。
29枚目。浜街道から北をむいた構図にて。鉄塔のあたりが、廃線跡。遺構を見られるとの情報もありましたが、ここでも草に負けました。
30枚目。香川県道186号線の標柱です。東大浜交差点付近に設置。この画像の左(南)にあるレストラン、親類に勧められていますが今回は入店見送り。
31枚目。県道186号・東大浜交差点。ここから画像の北へのびる道へと入ります。
32枚目。道路左(西)のゴルフセンターの北端部ほどにある、東むきの丁字路。線路のカーブ部分が、この道路を横切っていたのですが(図版などから推察)、確定を得ませんでした。
33枚目。32枚目の丁字路から、北へ少し移動したところの西向き丁字路にて撮影。画像左側の駐車場一帯に、坂出港線が走っていたようです。
34枚目。琴参バス・坂出営業所の看板です。南北に伸びる道路の東側にあります。
35枚目。坂出営業所バス停の標柱(丸板部分)です。この北側にも2箇所、専用線の痕跡がありますが、そちらには敢えて足を伸ばしませんでした。33枚目の画像に写る道路を、西へと入っていきます。
36枚目。道路北側の緑地、その西端付近から埠頭側(北)を見た構図です。海上保安部の施設があります。
37枚目。36枚目付近の西向き構図です。航空写真では、この付近に線路が数本敷設してありました。「中央岸壁に駅設置」という坂出市史の表現に頼り、私はこの駐車場付近を坂出港駅(の施設)と推定します。あくまで推定です。
38枚目。海上保安部の施設付近、南向きの丁字路の眺めです。画像奥には、ホームセンターや体育館があります。
39枚目。砂利じきの地面、長方形ではなく台形です(画像だとわかりにくいですが)。複数の線路が合流していく付近だったのではと推察します。
40枚目。港湾合同庁舎の東方、北西向きの構図にて。ほどほどの幅の茂みを見ると、そこも廃線跡なのではと思ってしまいます。
41枚目。坂出港湾合同庁舎のあたりにある、バス停標柱です。ここも、琴参バスが通っています。
42枚目。貨物支線の痕跡をたどってきたので、貨物コンテナを見て反応し、撮影してしまいました。もしかするとこの辺りまで坂出港駅だったのやもしれません。違うかもしれません。
43枚目。港湾合同庁舎の西の十字路を、左折南進します。県道19号線が南北に走っているところです。
44枚目。県道19号線を南下します。海の幸ふれあい市場、という施設があります。この向こう(西側)に、貨物の専用線があったものと推察します。
45枚目。市場の前のバス停標柱です。貨物の鉄路は歴史の彼方ですが、バス路線がその辺りに走っているのですね。
46枚目。両景橋の東詰に行き着きました。この側道へと右折西進します。
47枚目。両景橋の下に、線路が残されています。ほぼ南北方向、専用線の線路と思います。
48枚目。残っている線路の、橋梁部分。水路を跨いでいたのでしょうか。構造にも目を惹かれます。
49枚目。線路の継ぎ目も、残っていました。この接合部が解かれることは、もう無いのでしょうか(残って欲しい……)。
50枚目。電柱のあたりを境界にして、右(西)に専用線があったのでしょう。
51枚目、ラスト画像です。ガードレールで仕切ってある向こうに、専用線の線路が工場内まで伸びていたと推察します。この付近を坂出港駅とする説も見えますが、今回の「推察」では入船町の中央岸壁方面に駅があったと仮定しております。
坂出駅を徒歩で出発して、およそ1時間で巡りました。
この記事は鉄道資料のみならず、坂出の郷土資料等も、さらにさらに読み解いていく必要性を痛感しつつ記しました。折々に改訂できればと思います。
以上でございます。ご覧くださりありがとうございます。また次回更新にてお目にかかります。
(2023-09-02誤字訂正)
(2023-06-07掲載、微調整)