132 「赤川鉄橋」2004年9月
城東貨物線・淀川橋梁、当時のようす。現在は「おおさか東線」の複線が通っています。
状況は撮影当時のものです。ご訪問の際、十分ご注意ください。
「赤川鉄橋」メモ
大阪府大阪市旭区(一部・都島区とも)〜同市東淀川区に架かる、鉄道橋梁です。撮影当時は、人道橋と単線線路という変わった取り合わせの「有名スポット」でした。
600メートル強の長さの鉄橋です。当時は、歩行者と自転車が通行可能な、生活道路でもありました。
画像集
1枚目、曇り空のもと、鉄橋の北側にて撮影。
2枚目。単線の上流側に、人道橋が設置してありました。自転車の姿も目立ちました。
3枚目。橋梁構造物の合間から、梅田方面を眺めます。
4枚目。橋脚の上部で、鳩が休んでいました。人慣れしているのかもしれません。
5枚目。渡り終えて、鴫野方面を眺めます。線路は当時、単線でした。
6枚目。自転車利用者向けの看板。降りて通行するようにというものです。南岸の渡り口にて。
7枚目、「赤川仮橋」のプレート。縦書き、木製の欄干に取り付けてありました。
8枚目。河川法による使用許可の標識板。
9枚目。照明が点灯する前の撮影。夜間にも交通量はあったと聞きます。
10枚目。線路部分(橋上)を撮り忘れていました。線路に対して直角向きに一枚。
11枚目。人道橋の補修部分。渡り板にテープどめ。ちょっと不安になりました。
12枚目。人道橋はあちこちで補修されていました。木の板で留めてある箇所もありました。
13枚目。北岸の「赤川仮橋」橋名板です。
14枚目。北岸の踏切です。夕方にかかる時間帯、交通量は多かったです。
蛇足
鉄橋界隈に、他の鉄道スポットもありました。ディーゼル機関車・DF50の4号機が保存されていたのです。赤川鉄橋から幾分東方、神社の敷地にありました。
2024年に、このDF50が現地解体となりました。その報せに触れて、徒歩圏内の赤川鉄橋を思い出します。サイトに未掲載であったのにも気づきました。
DF50 4号機が解体されなかったら、赤川鉄橋の記事をまだ載せなかったかと思います。なんともはや、です。
鉄道のけしき、移り変わりを思いつつ、今回の掲載としました。
御礼
ご覧いただきまして、ありがとうございます。次回更新でお目にかかります。