謙遜でありたい

「へりくだらない理由探しをしても、それ自体に意味は無く」

私の不遜さ・傲慢さを除き去りたい、そう常々思います。例えば何かを記すとき、伝えてやろうという上から目線が出てくる恐れに勝てません。出てくる恐れという時点で、心のうちに臆病と表裏一体の傲慢さが出ては、幅を利かせているのです。

漫画『ドラゴンボール』に登場する地球の「神」がしたように、悪の心を自分から分離させるといったことは、自力ではできません。不遜・傲慢の類いには、一生つきまとわれるのかなあと思ったりします。

まあ、今できることとしては、交流あるおひとりおひとり(相手)を、敬うことかと思っています。自分より優れていると素直に認めることとも言えましょうか。加えて、傲慢さの芽が出てきたら、先達や友人のことばや意見に私自身をさらし、常に己に対して修正を加えていくことかと思います。自分とは異なる意見に対して、傾聴で臨むということでもあると思います。

つらつらと申しました。私見を発信しやすい世の中になっています。だからこそ、まずは己のうちにて、相手の声や意見とすりあわせたりしてみることが肝心なのかなと思います。

本日は、新約聖書ピリピ人への手紙2章3節あたりを思いつつお送りしました。

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